後藤「はい、じゃあ今日も始まりました。まだ名前は決まってないんですけども。今日はモデルの人間らし子さんに来ていただいてます」
人間らし子「はい、人間らし子です」
後藤「よろしくお願いします。じゃあ、ちょっと軽く自己紹介の方していただいていいですかね」
人間らし子「えっと、名前は人間らしくと申します。えーとですね。脱いで取られてます。あんまりモデルっていう肩書は使ってないんですけど、肩書としてはこう脱ぐフェミニストっていうのを名乗ってます」
後藤「脱ぐフェミニスト。パワーワードすぎますけど笑フェミニストなんですか?」
人間らし子「フェミニストですね」
後藤「そうなんだ。ヌードを始めたきっかけってなんですか?」
人間らし子「きっかけは自分の身体が好きって言うので、まずは自分で撮る。ていうのをしていて、で、まあそれをインスタとかにあげてたら、他の人からあの声かけてもらって撮ってもらうようになったっていう感じですね」
後藤「そうなんだ、自分でなんで撮り始めた?」
人間らし子「うーん、それは本当に自分のなんか普通に自分の裸なり身体なりを鏡とかで見た時に、なんかいいなって思ったところをを撮りたいなと思ってスマホとかで撮るっていう感じですね」
後藤「鏡に写ってる自分を撮ってみるから始めたと」
人間らし子「そうですね」
後藤「それはなんでなんだろう。僕にはその感覚がないから分かんないけど、見るだけじゃ満足じゃないですか?」
人間らし子「そうですね、うん、撮った方が良くないですか?撮った方がいいでしょう」
後藤「おー分かんない分かんない」
人間らし子「その瞬間にしかないものも多分あるし、人はフィジカルでもメンタルでも変わる、変わり続けるものなの、それを残すのは好きですけどね」
後藤「そこから他の人にも撮られ始めたんですね。違いってあります?」
人間らし子「違いをやっぱりなんだろう、アイデアが増えるというか自分だけでは思いつかないものとかも、やっぱり人と一緒にやることで出てくるので、そこのなんか相乗効果みたいなのもあると思います」
後藤「初めて他の人と撮ったどんな感じでした?」
人間らし子「うーん何やったんだ。なんか特に驚いたこととか印象に残ってるあんまりなくて、まあでもなんかやっぱり他人から見てる他人が撮る自分と、自分が撮る自分っていうのはちょっと違うなって思いましたね」
後藤「どっちが好きですか?」
人間らし子「え?全部好きです。全部はいいすぎか、まあ、それは。他の人に撮ってもらったのが好きなのもありますし、自分で自分で撮ったの基本全部好きです。他の人に撮ってもらったのでも同じくらい好きなものあります」
後藤「そうなんだ。その自分の身体を見るのが好きでヌードを作ってるんですか?」
人間らし子「そうですね、続けてる理由がそこにもっとなんかいろんな、やってるうちにいろんな理由が増えていったみたいな感じですね」
後藤「例えば?」
人間らし子「脱ぐフェミニストって言ってるのは、なんだろう、あの自分の裸っていうのは、自分にとってはすごい当たり前のもので、生きていくために必要なもので、なんか日常の中にあるものなんですけど、それを他人の前にさらした時にそうは見てもらえないっていうところに、例えば、なんか性的な目で見られるとか、珍しいもの、裸の珍しいものとして見られるっていうのが、なんか違和感があるというか、好きじゃなくて、そこに対抗するというか、新しい見方、裸っていうものを当たり前に存在するものとして、見てもらえるような写真が、ヌードができたらいいなっていう気持ちが出てきたんで、それは続ける理由として増えたところです」
後藤「それが脱ぐフェミニスト?」
人間らし子「そうですね。だからまあ、女性に限った話じゃないんですけど、客体化されるっていう風に、言われるんですけど、フェミニズムの用語として」
後藤「客体化されるってのは女性を客体化されるってこと?」
人間らし子「そうです。例えば私の身体は私のもので、他人のものではないけれども、例えば私のヌードの写真を見た時に、それをご都合よく勝手に使うみたいなことが客体化ですね。なんかそういうのに対抗するっていうのはフェミニズムと繋がるところがあると思っているので脱ぐフェミニストって名乗ってます。キャッチーだし」
後藤「なるほどなるほど」
後藤「男性もそういう風に考えてる?フェミニストって抑圧された女性意識の中から女性の社会的な地位の確立ってところからフェミニズムってのは出来上がった。そうなると女性の味方なります。男性に対してはどう思ってるんですか?」
人間らし子「同じです。まあ、大体は同じです。なんかそのフェミニズムていうもの自体も最近はもう女性に限らず男性だったり、マイノリティーだったりが、その性別っていうものでいろんなことを決め付けられる。その性別らしさっていうもの押し付けられるっていうことをやめようっていう考えにこう拡大されてきてるんで、それは私はそのヌードに関しても同じように思ってます。男性の裸であっても、なんかその人の身体だから、それがこう見た人の都合のいいように使われるっていうのはよくないなと思いますね」
後藤「なるほどね」
人間らし子「まあでも、やっぱり作品を出すっていうことは、受け手にある程度委ねないといけないっていうのもちろんあると思ってるんで、一旦世に出すと、それはもう人の見方を縛るっていうことしたいってわけではなく、その出し方をどうするかっていうことを考えていきたいなっていう見せ方ですね」
後藤「それは場でってことですか?例えばギャラリーだったらギャラリー・博物館とかだったら、いわゆるアートって言われる世界だから、そこで見るものを客体化どうかの話はちょっと難しいから分かんないけど、エロく見る人ってあんまりいないです」
人間らし子「それはまあ、場所も一つの要素ですね。大きい要素だと思ってます」
後藤「他の見せ方っていうのはどんなのですか?」
人間らし子「まあ、例えば、私ができることは、ポージングとか表情とかは私だし。撮ってくれる人は撮り方とか、まあ、アングルだとか構図だとかで、そういうところを表現するっていうのはできると思うんで。そういうところで、見せ方を工夫することで、裸っていうものに対する新しい見方を、その見る人達に新しい見方をしてもらえるような写真っていうのができたらいいなっていう、まだ理想でしかないかもしれないな」